涅槃図とは | |||||||||||||||||||
お釈迦様は、35歳でブッダガヤにて尼連禅河(にれんぜんが)のほとり、菩提樹の下で悟りを開いてから45年間、インド各地を行脚して仏法を説き広められ、80歳になって、生まれ故郷へ向かう途中で、波婆城(はばじょう)にて純陀という人(鍛冶工の子)が布施として差し上げた茸料理に中毒され、体調を崩され、拘尸那竭羅(クシナガル)の跋提河(ばつだいが)のほとり、沙羅双樹のもとで入滅されました。釈尊の入滅を「涅槃に入る」といいます。お釈迦様は旧暦2月15日(新暦3月15日)の満月の日の真夜中に北枕でお顔を西に向けて入滅された。 死期の近づいたお釈迦様は、集まった弟子や信者に対して「私の説いた教えを守り、己を信じるように」と最後の法(おしえ)を説かれた。 その模様は「涅槃経」に記されており、それに基づいて画かれたのが「釈迦涅槃図」である。 お釈迦様は、涅槃( 死 )の為に8本の沙羅双樹の中を選ばれたのは、沙羅双樹にて仏の自在神力を示すためである。すなわち八本の沙羅双樹の内、4本はご説法が終わるとたちまちに枯れ、他の4本は青々と栄えた。これを四枯四栄という。世尊の色身(肉体)は涅槃に入りたまえど(四枯)、説かれし仏法は後世に残りて栄える(四栄)こという。 涅槃図 には お釈迦様 の涅槃 ( 死 ) を嘆き悲しむ大勢の弟子とともに、象や虎や孔雀など様々な 鳥獣 が描かれている 。 |
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涅槃会とは? | |||||||||||||||||||
仏陀釈尊が入滅された2月15日にちなんで全国の寺院で行われる行事。 仏陀釈尊が入滅される前日の2月14日に「仏涅槃図」を掲げ、仏陀釈尊が最後に成された説法が記されているお経「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」などを誦読する法要。 現在では新暦の3月15日に行われるところもある。涅槃忌・常楽会などともいう。 涅槃会には涅槃団子が供えれれることも多い. 尚、正蓮寺大日堂は廃寺につき一切の宗教行事を行っていないため「涅槃会」は執り行っていない。 |
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西行法師と涅槃 | |||||||||||||||||||
願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃 この和歌は、西行法師の作中詩の中でも特に有名なものである。晩年に詠まれた歌で、西行法師の歌集である『山家集』や 鎌倉時代の勅撰集である『続古今和歌集』に収録されている。 西行法師は桜を心から愛しており、彼の著作の中にも桜にまつわる歌は多く残っている。桜が花を咲かせる春は、四季の中でも西行法師にとってお気に入りの季節であったことだろう。 釈迦の入滅がいつであったか関しては諸説あるが、日本や中国では「2月15日」を入滅の日と定め、涅槃会(ねんえ)が催される。 旧暦2月15日は太陽暦では3月の中旬にあたる。 西行法師は出家した身であるため、春の中でもとりわけ その時期にこの世を去りたい、と思いを込めたのだろう。 驚いたことに、西行法師は文治6年(1190年)の2月16日に自ら望んだ日の僅か1日遅れで亡くなった。 西行法師にとっては本懐を遂げたと言ってもいいだろう。 その生きざまは藤原定家や慈円の感動を呼び、当時名声を博したという。 |
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全国で10数例しかない珍しい「猫入り涅槃図」 |
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![]() “ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”とか , “猫は鼠にだまされて釈迦の涅槃 ( 死 ) に間に合わなかった“とか “ゆえに猫は干支にもいない“ とか “木に引っかかった薬袋をお釈迦様のためにネズミが取りにいこうとしたら、猫が邪魔をしたため、お釈迦様が薬を飲めずに亡くなられた“など諸説が伝えられている。 しかし、絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いしたなどの理由によって、猫が描かれている涅槃図もあり、日本では十数例ほどしか確認されていないと言われている。ここ大日堂の涅槃図には左下に猫が描かれており、日本では大変珍しいものである。 ![]() この涅槃図は延享3年(1746)2月15日、今から約275年前に大和国十市郡豊田村(現在の橿原市豊田町)の吉村氏が普賢寺(現正蓮寺大日堂)に寄進したと軸箱に記録されいる。又、小綱町では古老より「小綱町には猫が描かれた涅槃図がある」と言い伝えられて大事に保管されてきた。正蓮寺大日堂資料室でご拝観下さい。 |
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正蓮寺大日堂の「猫入り涅槃図」の見方 | |||||||||||||||||||
お釈迦様は2月15日の満月の日に、インドのクシナガルの跋堤河のほとりの沙羅双樹の林の中で、頭を北向きに横たわり入滅(死亡)されたと言われてる。その様子を描いたものが「涅槃図」で、宗派を問わずお寺には備えられている。 2月15日の前後(新暦の3月15日に行われるところもある)には仏教寺院では「涅槃会(ねはんえ)」というお釈迦様の入滅を痛む行事が行われ、「涅槃図」を本堂に懸けてお団子を供えて供養をする。 |
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満月の日に お釈迦さまは前478年(?)旧暦二月十五日(三月十五日)の満月の日に8本の沙羅双樹の木の下で入滅されました。お釈迦様の入滅を「涅槃に入る」と言います。 *お釈迦さまの木 無憂樹木 お釈迦さまがお生まれになろ時に咲いていた花。 お釈迦さまの母、マーヤ夫人が何の心配もなく出産したから後に無憂樹と名付けられました。 菩提樹 お釈迦様は菩提樹の木の下で悟りを開かれました 沙羅双樹 お釈迦さまは沙羅双樹の木のしたで入滅されました。。 |
川のほとりで インド・クシナガルの跋提河の8本の沙羅双樹の林の中でお釈迦さまはお亡くなりになりました |
横たわるお釈迦さま 沙羅双樹の林の中で、頭を北向きに西に顔を向けて横たわるお釈迦様。 「頭北面西右横臥」 お釈迦さまは十大弟子の阿難に命じて、沙羅双樹の2本の間に、頭と北に向けて床を用意するように、「私は疲れた。横になりたい」頭を北に右脇を下にして、両足を重ねて静かに体を横たえました。 頭を北に向けて寝ることは、地球上の磁場と血液の流れが一致することにより一番安定した安らぎを得る状態であると言われています。 亡くなられた方を北枕に寝かすことはお釈迦さまの涅槃に準じています。 |
お釈迦さまの急を聞いてかけつける摩耶夫人 お釈迦様を産んで7日めに亡くなった摩耶夫人も、天上界から駆けつける。 摩耶夫人を先導しているのがお釈迦さまの十大弟子の阿那律尊者です。お釈迦さまの説法中に居眠りをしてしまったことを恥じて絶対寝ないという誓いをたてた人。 |
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届かなかった薬袋 摩耶夫人が天上界から錦袋に起死回生の霊薬を持って天隆する際に沙羅双樹めがけて薬袋を投げ落としました。 「投薬」という言葉はこの故事が元になったと言われています。 その薬袋をネズミが取りに行こうとしたらネコが邪魔をした。 |
白く変じた沙羅双樹 沙羅双樹の木はお釈迦様が亡くなると、枝がおおうように上にかぶさり、右側の4本の木の葉が白く変わって、時ならぬ白い花が咲き、はらはらと散ったといわれています。これは、お釈迦さまが入滅されたことを人間や動物だけでなく、植物も悲しんだことを表しています。 一方左側の4本は青々と葉を広げ咲かせています。お釈迦さまが入滅されてもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを表しています。 これを<四枯四栄>と言います。 |
嘆く弟子たち おおぜいの弟子が取り囲んで嘆いています 。 お釈迦さまの弟子のなかで、特に優れた10人の人たちを 釈迦の十大弟子 といいます。 |
お釈迦さまに触れる老女 多くの嘆き悲しむ人々の中で唯一お釈迦さまのお体に触れている人物がいます。 お釈迦さまに乳粥を施したスジャーター、またはお釈迦さまの教えを聞こうと訪れたが時すでに遅く悲しみに暮れる老女など諸説があります。 |
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卒倒している人物 お釈迦さまの側で悲しみの余り卒倒している人物がいます。 十大弟子で最も多く教えを聞いた「多聞第一」の異名をもつ阿難尊者です。彼は容姿端麗な人として描くことが多く、涅槃図においていかに阿難尊者を美男子に描くかが絵師の腕の見せ所です。 |
卒倒している人を介抱する人 卒倒した阿難尊者を介抱しているのが十大弟子の阿 ![]() ![]() |
唯一、供物を持っている人 お釈迦さまはこの純陀から受けた食事が元で亡くなったと伝えられており、一説には食材の中に入っていたキノコによる食中毒であったとされています。 しかしお釈迦さまは「私は純陀の食事によって寿命を迎えることができた。臨終の前に食事を捧げることは最も尊い行いなのだ」と諭したと言われています。 |
沢山の動物も集まって 動物も集まって来てお釈迦さまの死を悲しんでいます. お釈迦さまはインドでおなくなりになられたから像やラクダも集まってきて悲しんでいます。 |
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迦陵頻伽 (かりょうびんが)沢山の動物のなかで、この世で存在しない鳳凰や極楽浄土に住むと言われる迦陵頻伽も描かれている。 迦陵頻伽は頭が人、身が鳥で美声の鳥と言われている。 ただし、この世の人は見たこともない。 |
涅槃図にねこを探そう 正蓮寺大日堂の涅槃図にはねこがいた! 正蓮寺大日堂「涅槃図」の左下にねこが描かれています。 ![]() クリックすると拡大します。 |
薬袋と猫の関係 涅槃図に一般的に猫が描かれない理由として、沙羅双樹に引っかかった薬袋を、お釈迦さまのためにネズミが取りに行こうとしたら、猫が邪魔したため、お釈迦さまが薬を飲めずに亡くなったと言い伝えられています。 |
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令和3年度「猫入り涅槃図」特別公開 「鈴虫の鳴く夕べ」 |
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■猫入り涅槃図の特別公開について 正蓮寺大日堂の「猫入り涅槃図」は色あせを防ぐために普段は堂内にレプリカを展示しています。 但し、見学者からレプリカではなく本物を観たいとのご要望が多く令和元年9月23日第1回目の本物の特別展示を行いました。 以後毎年秋の彼岸の頃に本物の猫入り涅槃図の展示を予定しています。
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