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小綱町の宮座


宮座(後の「村座」)

小綱町にはかって、「宮座」という農村祭祀組織があった。
が、下記の通り「村中で座をする」重圧に耐えかねて昭和50年頃に「宮座」は消滅した。
座は「当屋(とうや)年中行事帳」という小綱町保管書類を毎年持送り、これに記載されている年中行事を1年間勤めとして課していた。
座の年中行事のうち当屋(本座ともいう)の最も重要な行事は10月の「宮座」であって、これを「座の講中は村中」「村中で座をする」といっている。
「村中で座をする」とは村中の人が全員集まるという意味である。
ここで言う村中には次のような変化があった。
昭和35年当時の小綱町の戸数は約107戸でこれを8つの隣組に編成し、その内1組〜7組が戦前までの農村にほぼ相当し、行事などでこの区域を村、村中と呼ぶことがある。尚参考までに令和2年は15の隣組が存在し戸数は約534戸である。
座は村(1組〜7組)の家並みに1年交替で努める。しかし座を承諾することは義務でない。
次年度の座は村の初集会(自治会総会)で決定し発表されるから、それまでに本年度の座は次の座を前述の村の家並みの順に交渉・決定しておくことになる。
座の承諾を交渉する場合、1年間の座の年中行事の世話のできる男子のいる家であること、そ
して経済的負担、村人全員の招待などの条件が考慮されるので、交渉は家並みの順序に進まないことが応々にしておこる。
小綱町の座は大正末から昭和初期の頃にそれまで農家が中心のメンバーから、非農家の新住民の座を希望する家にも門戸を広げて座の年中行事は小綱町の村中全員が参加する「村座」と開放的になった。
宮座の年中行事は、
1月1日 年始祭(氏神様の入鹿神社の初詣)
1月14日 大とんど、
5月5日 節句、
6月 野神さん
6月 さなぶり
7月16日 大神宮祭
8月31日 日待
10月第二土日 宮座
10月第三土日 秋祭り
10月26日 入鹿神社大祭
12月下旬 神社しめなわ飾り付け
12月31日 大晦日

年間12回にも及ぶこれらの祭事の準備を座の当屋(今年座を引き受けた家)と先座(昨年座を担当した家)と後座(来年の座を引き受けた家)の3つの家で伝統行事を伝承させるために行っていた。
その行事の中でも最大の行事は10月第二土日の「宮座」祭典であり、
座を引き受けた家は村中の人や親族一統・村の長老一老・二老(村で一番高齢者の男性と二番目に高齢者の男性)を家に招待し、食事には松茸飯を供するのが慣わしとなっていた。
式典では、氏神様である入鹿神社の御神体を神主とともに夜間自宅に迎え入れ、招待者ともども神事をおこない、食事が終われば全員で行列をなして入鹿神社に御神体を送った。所謂「遷座式」である。
当然先座(昨年座を担当した家)と後座(来年の座を引き受けた家)の3名の男性は白装束に身を包んだ。
これらの費用は一部「村持ち」といって村(自治会)から援助があるが、当屋(今年座を引き受けた家)の負担も大きなものであった。
小綱町では農家・非農家を問わず「村座」として開催されていたが、年に12回にも及ぶ行事の準備や執行と、何と言っても親戚一族は当然町の主立った人を多数招待して接待すると言う宮座の重圧に耐えかねて、昭和50年頃に小綱町の「宮座」(後の村座)は当屋を引き受ける家が無くなり途絶えた。 

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 宮座とは
 ■宮座とは
氏子の一部によって組織され、氏子の中の一定の人々が中心になって氏神の祭祀を行う特定集団。近畿地方を主として西日本に多い。室町時代から顕著になった。宮仲間・宮講とも言う。
「宮座」に招かれる長老は、神にも等しい存在と崇められた。
現在でも昔のような閉鎖的な「宮座」を守るものも少数ながら存在するが、村民全員で行う「村座」へ移行されるものや、更に「宮座」の解体・郷土芸能
民族芸能の「保存会」などの新たな形態の組織に転換される事例も増加している。
 昭和7年当時の宮座行事と役務分担表 
 


当屋(とうや)の正装 当屋(とうや) 当屋(とうや) 
 神社での神事  当屋(とうや)での神事  神社での神事の後供物の鯉を堀に放つ 
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