〒634-0811奈良県橿原市小綱町
【宮座】(後の「村座」) | ||||||||||||||||||
小綱町にはかって、「宮座」という農村祭祀組織があった。 座は「当屋(とうや)年中行事帳」という小綱町保管書類を毎年持送り、これに記載されている年中行事を1年間勤めとして課していた。 座の年中行事のうち当屋(本座ともいう)の最も重要な行事は10月の「宮座」であって、これを「座の講中は村中」「村中で座をする」といっている。 「村中で座をする」とは村中の人が全員集まるという意味である。 ここで言う村中には次のような変化があった。 昭和59年当時の小綱町の戸数は約180戸でこれを8つの隣組に編成し、その内1組~7組が戦前までの農村にほぼ相当し、行事などでこの区域を村、村中と呼ぶことがある。尚参考までに平成28年は15の隣組が存在し戸数は約400戸である。 座は村(1組~7組)の家並みに1年交替で努める。しかし座を承諾することは義務でない。 次年度の座は村の初集会(自治会総会)で決定し発表されるから、それまでに本年度の座は次の座を前述の村の家並みの順に交渉・決定しておくことになる。 座の承諾を交渉する場合、1年間の座の年中行事の世話のできる男子のいる家であること、そして経済的負担、村人全員の招待などの条件が考慮されるので、交渉は家並みの順序に進まないことが応々にしておこる。 小綱町の座は大正末から昭和初期の頃にそれまで農家が中心のメンバーから、非農家の新住民の座を希望する家にも門戸を広げて座の年中行事は小綱町の村中全員が参加する「村座」と開放的になった。 座の年中行事は、1月の初参り(氏神様の入鹿神社の初詣)・大とんど、4月の節句、6月の野神祭、7月の田植祭(さなぶり)・10月の氏神祭(秋祭り)・宮座祭典、12月の正月準備等があった。 これらの祭事の準備を座の当屋(今年座を引き受けた家)と先座(昨年座を担当した家)と後座(来年の座を引き受けた家)の3つの家で伝統行事を伝承させるために行っていた。 その行事の中でも最大の行事は10月の「宮座」祭典であり、座を引き受けた家は村中の人や親族一統・村の長老一老・二老(村で一番高齢者の男性と二番目に高齢者の男性)を家に招待し、食事には松茸飯を供するのが慣わしとなっていた。 式典では、氏神様である入鹿神社の御神体を神主とともに夜間自宅に迎え入れ、招待者ともども神事をおこない、食事が終われば全員で行列をなして入鹿神社に御神体を送った。所謂「遷座式」である。 当然先座(昨年座を担当した家)と後座(来年の座を引き受けた家)の3名の男性は白装束に身を包んだ。 これらの費用は一部「村持ち」といって村(自治会)から援助があるが、当屋(今年座を引き受けた家)の負担も大きなものであった。 約20年ほど前に小綱町の「宮座」(後の村座)は当屋を引き受ける家が無くなり途絶えた。
|
【野神さん】(ノグチサン・ノグッツアン) | |||||||||||||||||||||||||||||||
古くから小綱町では、農耕の守護神として田植え前の旧暦5月4日(新暦では6月4日)に豊作や農耕の無事を祈る「野神行事}(ノグチサン)が、上記の通り今は無くなった宮座(後に村座)という農村祭祀組織で運営されていた。 信仰の対象は野神塚(のうじんつか)の野神(のがみ)さんであり、野神塚は小綱町字室田137番地と138番地の合筆の田の南東隅、旧農道に沿った場所にある。(小綱町の野神塚の位置参照) その野神塚にはヨノミの大木があり、その木の前で野神を祀っている。 野神塚(のうじんつか)には白い蛇が棲んでいるといい、見た者もあると聞く。 「昔蛇が出て田を荒らしたので、神に祈るから田を荒らさないで欲しい」というのが野神信仰の始まりと思われる。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
■行事の内容
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
※写真をクリックすると拡大します。
|
![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |