室町時代の小綱町からの贈り物

小綱町文化財保存会

〒634-0811奈良県橿原市小綱町

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正蓮寺大日堂は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の本堂で、普賢寺の創建年代については全く明らかにすることはできないが、その建立年代は棟札により文明10年(1478)の上棟であることが分かっている。
昭和30年~31年度の大修理時に、大日堂地下の地層状態、鎮壇具の有無等を調べるため、仏壇地下の発掘調査が行われた結果、現大日堂よりも奥行のやや深い前身堂の遺跡が発見され、その創建は鎌倉時代を降らぬものと思われる。
前身の大日堂の旧地表には一面に焼土が見られ、前身の大日堂が焼失していることが明らかになった。罹災の事情は分からないが、鎌倉時代末から室町時代にかけて、高市郡(小綱町は橿原市になる前は高市郡に属した)は越智一族の勢力下にあり、永享頃(1429~1441)高市郡一帯に幕府軍と越智氏の多年にわたる激しい争闘があったらしいので、兵火によることも考えられる。
現在の大日堂は昭和の大修理時に発見された墨書銘によれば、康正2年(1456)既に再建が始められている。併し一応の完成を見たのは、棟札に示すように文明10年(1478)で、方30尺足らずの小規模な建物でありながらその完成に実に30年の歳月を費やしたのは応仁の乱等の当時の不安な社会を如実に反映したものと思われる。
その後、江戸時代初頭に、柱の抜替等に及ぶ相当の大修理が行われているのを始めとして、江戸時代を通じ数度の修理改造が加えられていた。
江戸時代末期になると、普賢寺は今井を中心として南大和に勢力を張っていた浄土真宗に圧倒され、僅かに留守居僧を置いて細々と法燈を伝えていたが、明治の廃仏毀釈により普賢寺が廃絶することとなり、明治7年には無住となり、仏体は隣接する真宗興正派正蓮寺に合祀し、大日堂は一応売却の形をとった。(明治7年無住無檀廃寺願により金13円50銭で地元住民が落札した。因みにあの有名な興福寺の五重塔は廃仏毀釈の法難に遭い、25 で売りに出され、薪にされようとしていたが、最終五重塔は250円で買い手がついたという。)大正8年正蓮寺より「明細帳記載漏」の故を以て脱漏編入願が提出され、当時の木田川奈良県知事の許可を得て大日堂も又正蓮寺の管理に帰した。
文明10年(1478)の再建になり、その形態もよく整い、室町中期の年代の明かな堂宇として、昭和18年6月9日国の重要文化財に指定されたが、永年の荒廃に軸部はゆるみ、屋根の雨漏りも生じて、憂慮すべき状態となったため、昭和30年~31年度約1年半の歳月と、国庫並びに県その他の補助を受けて(当時のお金で修理工事費約798万円。現在の時価で約1億8800万円。※注1)解体修理が行われ、建立当時の姿に復元された。
※注1 昭和30年当時の国家公務員の初任給は8,700円、平成23年度国家公務員初任給205,000円で比較。

昭和30年の解体修理前の正蓮寺大日堂記録写真 
■落慶稚児行列写真
平成の大修理記録写真
重要文化財正蓮寺大日堂  Dainichi temple


CEO 堂は三間四方で寄棟造本瓦葺。一辺28尺余の小規模なものであるが、前面一間を礼堂とし、後方二間の内陣後方より四本の柱に間込まれた厨子を設けて本尊をまつっている。
正背面中央間は12尺、両脇間8尺として、中心性を与え、厨子の正面幅をこれに合わせている。
側面は前方より10尺、8尺の間につくって、前面の礼堂を広くとるようにしている。内部床張りで、周囲に縁をめぐらし、正面に向かって右端の隅柱から側方へ脇障子を出して縁側を仕切っている。円柱上に舟肘木をのせ、一軒の軒を出した簡素な構造であるが、正面3間に浅唐古石を入れ、側面両端、背面中央間には扉構えを作りながら、片引戸を入れている。これは工事途中の変更とみられる。内部は全面に棹縁天井を張り、礼堂と内陣境には格子戸を設け、中央間には吹き寄せ菱格子の欄間を入れる。
厨子は前面下方に仏壇風にあしらい、浅唐古両開きを入れ3方を板壁とする。
ただし、この扉溝は全部新しく、元禄五年の補加と見られ、元は開放であったと思われる。
こうした極めて簡素な堂であるが、不要な飾りを一切しりぞけて必要最小限をみたし、間取りなども実用的にずばりと作られている
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棟札

大日堂は文明10年(1478)上棟の棟札を有する方三間寄棟造の堂であるが、昭和30年~31年の大修理で、建物解体の結果、各所から康正2年(1456)、寛正3年(1462)、寛正4年(1463)、文明17年(1485)等の多数の墨書銘が発見され、方30尺足らずの小規模な建物でありながらその完成に実に30年の歳月を費やして、尚且完全に当初の計画通りに完成するに至らなかったことが分かった。
大日堂の棟札は大日堂が昭和18年6月9日国の重要文化財に指定されたときにその付属物として一緒に指定された。
正蓮寺大日堂資料室でご拝観下さい。
拝観申込
  
極楽寺の門  昔の小綱町には宗派が違う3つの寺院があった。

神仏分離時には小綱町には真言宗・浄土宗・浄土真宗の3つの宗派の寺院があった。
(1)上記真言宗高野山派仏起山
普賢寺は明治7年無住無檀廃寺願により金13円50銭で地元住民が落札して廃寺となり、現在その本堂が正蓮寺大日堂として残っている。
(2)浄土真宗興正寺末の
正蓮寺は大日堂南に現存している。
(3)高取浄土真宗鎮西派西光寺末の
極楽寺は無住・無檀(住職がいなくて、檀家も無い)を理由に取り壊され、その門だけが入鹿神社境内に移築され現存している。
極楽寺は小綱町地内の飛鳥川河畔「荒神社」あたりにあった。

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●奈良県高市郡高取町  浄土真宗鎮西派「西光寺」   

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重要文化財大日如来坐像 Dainichi Buddha seated figure

CEO 大日堂の本尊である。頭上に宝冠を戴く。智拳印(ちけんいん)を結び、右足を結跏趺坐(けっかふざ)する。
顔は豊かな肉付きをみせ、目はつよい俯瞰の相を持っていて、したがって相当細めに刻出されている。全身の肉付きもまた豊かで、裾の衣文は藤原式の薄手で優美である
半丈六の仏像であるにもかかわらず、技巧的にまとめられているのが特徴で、院派(京都を中心に朝廷や貴族の造仏を担当していた仏師の一派)系の仏師によるものではないかと考えられる。
鎌倉時代前期における橿原市と京都の繋がりを示唆するものとして注目される作品である。
鎌倉時代の作とされ、大正8年4月12日国の重要文化財に指定される。
現在像は、修理を経ていて、ところどころ金箔の剥落があるほか損傷はない。ただし宝冠、光背、台座はすべて徳川中頃とおもわれる後補である。
檜材寄木造・総漆箔、 像高148.3CM、面長26.8CM、面巾26.0CM、耳張34.2CM、面奥33.5CM、肘張80.0CM、胸厚32.2CM、腹厚39.5CM、膝高(左)21.8(右)21.3CM、膝張108.8CM、膝奥71.5CM
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大日堂のご本尊である大日如来の命日が7月15日であることから
、毎年7月15日に夏の大祭が開催される。                 
二天像




持国天     多聞天
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正蓮寺大日堂内には持国天と多聞天が伝わっている。
*持国天・・173.0cm  多聞天・・171.1cm 等身大の像で、樟(くすのき)を用いて左右二材矧ぎとし、構造技法は大日如来座像と異なる。しかしながら制作年代に大日如来座像と大きな隔たりは無いと考えられる。鎌倉時代の二天像の多くは片膝を高く踏み上げ、大きな動きで左右相称のポーズをとるものが増えるが、本像は片足をわずかに踏み出すだけで動きは控えめで古様を示す。袖や天衣、裳の随所に渦文を配しているのが特徴的である。

四天王は増長天広目天持国天多聞天の4体を言うが、正蓮寺大日堂仏壇にはその内で広目天・持国天が安置されている。恐らく須弥壇(しゅみだん)が狭く四方に4体の仏像を置くスペースがなかったので2体のみになったと思われる。
又、中央の重要文化財大日如来座像に比べて脇を守る二天像が大きいのは恐らく後に2体が追補されたものと思われる。
                      
弘法大師像



弘法大師像
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正蓮寺大日堂内には廃寺普賢寺の宗派真言宗高野山派の開祖である弘法大師像が安置されている。いつ頃の作かは定かではない。弘法大師の御命日4月21日(旧暦3月21日)には弘法大師像の前で地元住民が伝統行事として「大師講」が古くより地元の女性によって運営されており、お年寄りたちが、お大師さんと一緒に飲み食いをしながらおしゃべりをする、そんな楽しい集まりをする。
今は少なくなった「大師講」が連綿と続いている。
毎年4月21日に定例開催。


子安地蔵像




子安地蔵像
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正蓮寺大日堂内には子安地蔵像が安置されている。いつ頃の作であるかは定かではないが等身大の均整の取れた地蔵菩薩像である。
地元の伝統行事として、地蔵を祭る「地蔵盆」を地元の女性によって運営されている。今は少なくなった「地蔵」が連綿と続いている。

地蔵菩薩は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされ、一般的には「子供の守り神」として信じられています。
毎年7月23日に定例開催

その他収蔵物


 
正蓮寺大日堂内には廃寺真言宗高野山派普賢寺に安置されていた仏像や掛け軸等の寺宝が沢山伝わり陳列されている。
地蔵菩薩像・閻魔天像・弁天像・誕生仏・
普賢寺元住職位牌・元檀家の位牌・昭和30年の御堂大修理時に地下から発掘された土器や瓦類・「猫入り涅槃図」等々が陳列されている。
正蓮寺大日堂前の石仏 薬師如来像 The Buddha of Healing 
室生山八十八ヶ所霊場第六七番札所



正蓮寺大日堂前の薬師如来


室生山八十八ヶ所霊場
第六七番札所


室生山八十八ヶ所霊場
案内図
正蓮寺大日堂前の石仏を地蔵さんと思っている人が多いが、正しくは「薬師如来」である。
いつの時代につくられ、どのくらい盛んだったのか分からないが、昔「室生山八十八ケ所霊場」という霊場巡りがあって、明治の廃仏毀釈で真言宗普賢寺が廃寺になるまでは(現在、大日堂は浄土真宗正蓮寺が管理)普賢寺は室生山八十八ケ所霊場の第六十七番札所となっていた。
大日堂前の石仏はその名残である。
全国には今でも八十八ケ所霊場が沢山あり、一番有名なのが四国八十八ヶ所霊場である。
四国の八十八ヵ所は弘法大師空海が道を求め山野を巡りて、修行を重ねられた足跡であり、人々は弘法大師の御誓願を中心に、そのご苦労の後を辿り、数々の悩みや苦しみ、願いを大師の恵みにあやかろうとして大師の足跡を巡る。
しかしながら、四国を一周する霊場は遠くて距離も長いことから、各地で近くの弘法大師ゆかりの八十八ヶ所のお寺を、有名な四国遍路(四国八十八ヶ所)を模して各地に作られた。
御府内八十八ヶ所霊場(東京版お遍路コース)・小豆島八十八箇所霊場・秋穂八十八箇所霊場(山口県)・篠栗八十八カ所霊場(福岡県)・神島八十八ヶ所霊場(岡山県笠岡市)・関東八十八ヵ所霊場( 群馬県)・御室八十八ヶ所霊場(京都仁和寺)・九州八十八ヶ所霊場(九州全域)・知多四国八十八ヶ所霊場(愛知県知多半島)・北海道八十八ヶ所霊場(北海道全域)・· 佐渡八十八ケ所霊場(佐渡島)・ 伊賀四国八十八ヶ所霊場(三重県伊賀市・名張市)・大和北部八十八ヶ所霊場(奈良県)等々数え切れない程の八十八ヶ所霊場が各地で開設されている。
正蓮寺大日堂前の石仏「薬師如来」は、室生山八十八ヶ所霊場の第六十七番札所の名残で、本四国の八十八ヵ所霊場の第六十七番札所讃岐国(香川県)大興寺を模している。
大興寺のご本尊は薬師如来を安置しているので正蓮寺大日堂前の石仏は「薬師如来」である。
室生山八十八ヶ所霊場は奈良県宇陀市の「室生寺」からスタートし、一部名張市に入り、奈良県の寺社を回り「室生寺」に帰る巡礼コースであった。
 
OP
正蓮寺大日堂

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